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2024年8月 6日 (火)

阿波踊り回顧③

解放された気分になる阿波踊り、時に男女間で良い雰囲気が生まれる事がある。

正直オヤジにもそんな時があった。踊り込んで来る総合大学の連は、圧倒的に

男性が多いのが普通だ。そこで、総合大学の多くは女子大と合同で踊り込んで

来る。オヤジが仲間に入れて貰った中央大学も東京の某女子大と一緒になって

参加していた。そんな訳で若い者同士、休憩の合間や演舞場から演舞場までの

移動の間に結構話しをして親しくなる。オヤジにも友人と一緒にそんな女性が

出来た。ここで正直な話しをしておけば良かったのだが、話しのノリと言うか

勢いと言うか、下宿先の話しになった時、オヤジはつい「渋谷の幡ヶ谷」だと

友人の下宿先を言ってしまった。そんな時に限って話しはうまく進み、学校が

始まったら東京で一緒に会おう、と言う話しになってしまったからさあ大変だ。

9月の初め、オヤジは当時乗っていたポンコツの「スバル360」で、名古屋

から東名高速で東京へ向かった。静岡牧之原高原では「片肺運転」になったり

空中分解しそうになりながら、夜遅くに渋谷区幡ヶ谷の友人宅に着いたのだが

ここからが地獄だった。駐車場が全く無いのだ。当時は時間駐車場も少なくて

結局「犬猫病院」の駐車場に停めた。翌日訳を話して代金を取ってもらおうと

思ったがこれがどっこい、朝行ってみると院長から看護師まで全員が出て来て

どんなに言い訳しても学生だと言っても許して貰えず、結局下宿代一か月分と

同じ1万2千円を支払うことになった。この時、生き馬の目を抜く東京は実に

怖いものだと思った。もちろんデートなどは身も入らずに、すぐに名古屋へと

Uターンである。当然、大学もバレて遠距離はダメになった。もう散々だった。

阿波踊りが切っ掛けの顛末であったが、今では懐かしい青春の一ページである。

Cyukin

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