阿波踊り回顧①
この季節が来ると、まだ小学校に上がる前の遠い昔を想い出す。父親の実家は
現在阿波踊りの無料桟敷で有名な「両国本通り」にあって、祖父がその場所で
自転車の総代理店を営んでいた。父親の兄や、弟二人も家業を手伝っていたが
次男の父親だけは家を離れて電力畑一筋を通した。そんな訳で幼少のオヤジは
たまに訪れる父親の実家が珍しく、結構悪さをして叱られたようだ。この時代
阿波踊りの「連」を作って踊り込むような馬力は無かったが、中央から踊りに
やって来る自転車メーカーのBSや、乾電池のメーカーなどを接待し、宿泊や
飲み会で歓待をしていたと聞く。乾電池は昔の前照灯は発電式でなく、乾電池
を入れるタイプだったからだ。店の玄関に大きな樽を幾つも置き、氷を入れて
飲物を冷やし、踊り終えた顧客に振舞っていたのを覚えている。天神祭りには
提灯舟をチャーターして新町川を流したこともあり、当時はそこそこの羽振り
だったようだ。当時一番メリットがあったのが「見物席」だった。母屋の二階
の窓から商店街の歩道のアーケード上に出られたからだ。そこは踊りの特等席
アーケードの上に座布団を敷き、スイカを食べジュースを飲みながら最終まで
踊りを見て、そのまま泊まって行く。子供としては最高の時間だった。そんな
親戚もみんな居なくなり、建屋も無くなった。両国本通りの無料桟敷に行くと
そんな遠い昔を想い出し、賑やかで陽気なお囃子の中に「秋」を感じてしまう。
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