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2024年3月

2024年3月21日 (木)

だから頑張れる

まだ未発表ながら、今年5月に四国地方ARDF競技大会が開催されることが

確定した。今回の担当は徳島県で、申請に関しての書類は既にJARL本部に

到着し承認されたと言うので一安心だが、事ここに至るまでは紆余曲折あって

正直大変な思いをした。この大会を開催するか否かは担当県の支部長に権限が

あるが、何しろ当の本人が極端なARDF嫌い、加えてオヤジ嫌いと来ている。

四国地方本部の会議で開催を促しても、どうしても開催しなくてはいけないの

かと食い下がったと、他県の仲間たちが教えてくれた。そもそも支部の組織に

ARDFに精通した者が少なく、ARDF徳島のサポート無しでは単独開催が

難しいからだ。かと言ってARDF徳島にサポートを依頼するのがイヤなのだ

から仕方が無い。事あるごとに何か理由をつけて、止める方向へ持って行こう

とした。オヤジも「止めるのなら止めてしまえ」といいたいところだが全国の

仲間たちが楽しみにしている地方大会、何とか開催したいと援助を惜しまずに

喧嘩をしないで、ここまで推し進めて来たが、協調する姿勢は全く無く、全て

オヤジとARDF徳島の仲間たちで頑張っている。成功すれば支部のお手柄で

失敗すればオヤジの責任になるのは分かっているが、オヤジにはそれら事情を

十分に分かっている仲間たちが全国にいる。それがあるから頑張れるのである。

Skkardf

2024年3月20日 (水)

チョッと一段落

大阪に住む次女から孫が志望の公立高校に合格したとの連絡があった。すでに

私学の合格は決めていたが、幾ら吉村知事が私学も学費は免除すると言っては

くれても他に何かとお金の掛る私学は身分不相応だ。まあこれで長女の孫達が

受験戦争に加わるのは8年~10年先になるので、とりあえずこれで一段落の

一件落着と言ったところだろうか。この先、大学を目指すかどうかは、本人の

自主性に任せたいとオヤジは思っている。次女からは再三に渡り、全く勉強を

しないのでジイジ何とか言ってくれと頼みがあったが、オヤジは全く耳を貸さ

なかった。何故なら、勉強しなくて無線ばかりやっていたオヤジが説教できる

ハズが無いからだ。ゲームも無線も、時代こそ代われ同じだ。人間と言う者は

三角形の頂点に立とうと思うと、桁外れの勉強が必要になるのかも知れないが

普通の位置に居ようと思えば、何とかなるものだ。学歴などクソくらえで十分

青春を謳歌して欲しいと思っている。ただ、人に迷惑を掛けない生き方だけは

十分に教えたいと思っている。オヤジの祖父と大学に入ったらスキーを買って

貰う約束をしてたのに、それが叶わぬまま逝ってしまった。従って孫に合格の

祝いは約束しないが、代わりに徳島に来たら回らない寿司を体験させてやろう。

Gokhpyo

Mwrnissi

2024年3月19日 (火)

我々も応援する

皆さんは「日本アマチュア無線連盟」の年会費をご存知だろうか。既に永久の

会員として会費を全納している人も居るが、最近のアマチュア無線人口減少に

伴う経費割れで、幾らかの追加料金を支払うことになった気の毒な人達もいる。

オヤジの様にコールサインを持つ普通の「正員(正会員)」で、普通の権利を

持って会費を支払う会員だと、年額7200円が必要になる。そんな会費から

計算し、今度は徳島の県支部にJARL本体から入って来る支部予算は、年間

どのくらいだと思われるだろうか。これが正直年間20万円ほどだ。徳島県の

会員数が約400名ほどなので一人当たり500円の計算になる。この予算で

ハムフェスタや各種イベントを企画するのだから、組織の運営はもう勤労奉仕

以外にはあり得ないのだ。そんな中、無線連盟を震撼させる重大な問題が発生

した。昨年、前JARL会長が突然交代すると言う事態が発生したが、そんな

交代劇の裏には、在任の3年間でおよそ1400万円の私的遊興費が明るみに

出たからであった。3日にあげず説明出来ない飲食をし、役員同士で割り勘に

した勘定まで自分の懐に入れていたことから発覚したそうだが、とんでもない

話しである。この不祥事を見つけ、クリーンで透明な連盟を目指して活躍中で

あるのが現会長だ。香川県にお住まいで、現在は四国地方本部長を兼務されて

いる。今回のハムフェスタでは新しいJARL改革への取組みを熱く語ってく

れた。四国の代表が新会長となったJARLの未来を我々も応援して行きたい。

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2024年3月18日 (月)

ハムフェスタへ

昨日は、ARDF徳島の無線仲間と一緒に「ハムフェスティバルin香川」に

行って来た。四国4県では毎年それぞれ、この様なハムの集いが行なわれるが

香川県が一番賑やかなので人気が高い。ただ会場が毎年、丸亀市の綾歌なので

徳島からは結構遠く自宅からは2時間少々掛る。更に下道を利用するとこれが

ナビでも変な道を教える事があり、未だに覚えきれない。そこでいつも友人の

車に便乗させて貰っていると言う訳だ。イベントは午後からだが、毎年盛大に

ジャンク市が行なわれているので、開場の9時頃から県外も含めて多くの人が

集まって来る。昨日も10時過ぎには到着したが、既に買った品物を駐車場の

自分の車へと運ぶ人が大勢いた。しまった、チョッと遅かったかも知れないと

思いながら受付を済ませ会場へと向かった。案の定、もうこれと言った品物は

残っていない。それでなくても最近は、ジャンクそのものが少なくなって来て

いるので猶更だ。結局車のLEDヘッドライト、USBメモリに入れた音楽を

FMで聴くFMトランスミッター、CPU用のシリコングリス、白色LEDの

弾丸タイプを買っただけで終わった。全て新品だったし1500円でお釣りが

来るほどの買い物には十分満足した。香川や高知のARDF仲間たちと話しを

することも出来、楽しい時間を過ごせた。ただ、同行の友人の仕事の都合から

お楽しみ抽選会が始まる前には会場を後にした。抽選券は香川の友人に預けて

帰って来たが、さてどんなモノが当っているのか、次に会う時が楽しみである。

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2024年3月17日 (日)

ええころ八兵衛

前にも話したかも知れないが名古屋弁に「ええころ八兵衛」という言葉がある。

いい加減なことを表した方言だが、さすが名古屋人の家内は随所に「ええころ

八兵衛」なところが見られる。普段の生活においては、あまり感じないのだが

DIYについては全くダメだ。現在、夫婦でお互いに自分たちのテリトリーを

スッキリしたものにしようと奮闘中で、棚を作ったり家具の高さを合わせたり

四苦八苦しているが、チョッと見に行くととんでもない仕事をしている。特に

力関係の感覚が鈍く、これでは「持たない」「変形する」「外れてしまう」と

言うような事を平気でやっている。まあ正直言って女性には難しいことだとは

思うが、それにしても「ええころ八兵衛」だ。一例を挙げるとビス止めが必要

になる箇所を紐で縛って終わらせようとしたりする点だか、そんな時はいつも

オヤジの出番になる。「またこんなええころ八兵衛な仕事をして」で始まると

必ず「そんならやってよ」と返って来る。これが家内の作戦なのかも知れない

と思いながらも手伝ってしまう。しかし、こうしたいああしたい、と計画する

アイデアがなかなか素晴らしいのは感心する。これでパチッと工作されたなら

亭主の威厳は丸つぶれなので、ちょうど良いのかも知れない。今日もこれから

ホームセンターへ二人で出掛ける。こんな生活が現在の老夫婦の日常になった。

2024年3月16日 (土)

嬉し寂しの開通

いよいよ今日、待ちに待った北陸新幹線の金沢~敦賀間が開通した。本来なら

敦賀から京都を経由し、大阪まで行って全線開通となるのだろうが、敦賀まで

のびただけでも嬉しい。東京からだと、これまで金沢から在来線の特急に乗り

換え敦賀まで向かっていたがこれで一本になる。時間にして約50分短縮され

料金も安くなる様だ。しかし馴染みのサンダーバードが福井から消え行くのは

実に寂しいものだ。金沢から敦賀方面に向う停車駅は「小松」「加賀温泉」「

芦原温泉」「福井」「越前たけふ」と続き温泉駅が2つも入っている。これで

北陸新幹線の駅で温泉名が入るのは富山県の「黒部宇奈月温泉」駅を加え3駅

になる。全国の新幹線駅で駅名に温泉が入っているのは6駅だそうで、さすが

温泉の北陸、これで温泉名駅の50%を占めることになる訳だ。しかしながら

加賀温泉駅は順当として、あの芦原温泉駅に停車するとは思わなかった。正直

実際の「芦原温泉」からはほど遠く、田舎街の何も無い駅だからだ。あれから

随分月日が流れたので現在の新幹線駅がどうなっているか分からないが、よく

利用した駅だけに気になってしまう。やはり田舎の駅でも、本来の芦原温泉に

一番近いJRの駅だけに、どうしても外せなかったのだろうと思う。もう一つ

市としては消えてしまった「武生」が新幹線の駅「越前たけふ」とひらがなで

残されるのは嬉しい。かつて「武生」-「鯖江」と通過し、福井にやって来た

感を味わった重要な駅の一つだったからだ。月日は様々なモノを変えて行くが

平成~令和に掛けて北陸は大きく変わった。この一部に立会えたのは良かった。

Hkrksks

2024年3月15日 (金)

春闘を考察する

昨日、春闘の話しをしたが、オヤジは春闘とは単に「春季闘争」を短縮させた

名称だと思っていた。しかし正確には「春季生活闘争」と言うそうだ。これは

あの「連合」が名付けた名称で、別に「春季労使交渉」と言う場合もある様だ。

こんな交渉はしなければしないに越した事は無いように思うが、黙っていれば

会社は、かつてオヤジが初めて就職した会社のように「これで辛抱してね」と

一方的に都合の良い金額で済まそうとする。それを防ぐ為、出来ないだろうと

分かっている高額を要求し、妥協点を提示させて決着に導くのが、組合の作戦

なのだ。とてつも無い金額を要求されて悩む社長の姿を幾度となく見て来たが

オヤジはいつも組合の要求に疑問を持っていた。それは単にその場その場での

要求しかしないからだ。もしオヤジが組合の委員長をしていたら、一年後には

生産性をXX%アップさせるので、その暁には給与賞与をXX%アップさせて

くれますか、と言った作戦を取るのに、と思ったものだ。組合活動とはそんな

甘いものでは無いかも知れないが、やはり会社が良くならないと給与や賞与を

上げることが出来ないのは事実だ。その昔、多くの組合員が一致団結し、傾き

掛けた会社を立て直した事例が多く語られている。現在のガリバー企業のなか

にもそんな会社は多い。本来の組合の在り方とはそんな形だろうと思うのだが

正直、ここから先は組合の経験がないオヤジにはよくわからない難しい問題だ。

Danketsu

2024年3月14日 (木)

組合っていいの

大手企業の春闘による回答がピークを迎えている。今年は何処も満額の回答で

ウハウハの様だ。そりゃそうだろう、これだけ物価か上がっているのに給料や

賞与が上がらなければ、労働者はたまったモノではない。これは年金オヤジも

同じで、年金機構を相手に春闘を起こしたい気分である。そう言うオヤジだが

長いサラリーマン生活において「闘争」と言うモノを経験した事が無い。入社

した会社は組合が無く「これだけです」と言う額に辛抱して来た。転職をした

眼鏡屋では「偽りの経営者」の肩書を与えられ、蓋を開けて見ると転職の前と

何ら変わらない年収に甘んじた。その後再就職した化学会社では、組合に加入

しなかった。理由は組合員の経験が全く無かったのが一番の理由だったからだ。

その内に管理職となり「労使協」と言う名目の会議で、組合との縁が出来たが

折しも「ノロウイルス」による感染が蔓延している時期であった。トイレには

共用タオルは設置しません、各自でタオルかハンチを持参して下さいと言った

会社側のお願いに「タオル代はくれるんけ」と言った組合員に切れたオヤジは

皆が使ったタオルで顔を洗って出直して来い、と怒鳴ってしまったので以後の

労使協に出席は及ばず、となり再び縁が切れた。結局、現在まで赤い鉢巻きを

して赤い旗を振った経験は一度もない。組合って入ったほうが良いのだろうか。

Stmngku

2024年3月13日 (水)

有り難いお助け

やっぱりもうオヤジに会社勤めは無理だ。定年制がある理由が分かる気がする。

今回のオヤジの失敗は、メールの送信先間違いだった。5月に行われる予定の

四国地方ARDF競技大会に向け、ARDF徳島の会員宛にお手伝いの依頼を

メールしたつもりだったが、間違ってARDF徳島メーリングリストの宛先に

送信してしまったのである。ARDF徳島メーリングリストは、大会や練習会

イベントなどを案内する為、ARDF徳島の会員に加えて全国からの希望者を

登録したメール群である。従って今回のお手伝い依頼は、幅広く全国の各位に

行き渡ることとなった。突然、会員以外の仲間から協力しますよとのメールを

貰って気が付いたが、これは大ミスである。もし違うお得意さんに重要書類を

送信していたらと思うとゾっとする。これはもう定年して正解だ。今回の件は

突然、会員以外の方を驚かせてゴメン、開催されたら選手で出場してねと言う

お詫びメールで済んだが本当に歳は取りたくない。しかし県内の会員に先駆け

お手伝いのメールを頂戴できるのは実に嬉しい。皆さん選手で参加したいのが

本音のハズだ。是非とも会員だけでやり遂げて、彼らには十分楽しんで欲しい。

2024年3月12日 (火)

風化させない為

今年も3.11がやって来た。13年前、ニトリの椅子の上で見た黒い悪魔が

襲い掛かって来る惨劇は今でもオヤジの脳裏から離れない。あの当時の映像が

テレビ画面に映し出されても、見ているのが辛くチャンネルを変えてしまった。

自身もあの時、生死を彷徨うような病に侵されていた事と重なって、目に熱い

物が込み上げて来る。簡単に13年経ったと言うが、当事者にとっては未だに

時が止まったままだろうと思う。今年、再び同様の地震が能登半島を襲ったが

その度に自然に対する人間の非力さを見せつけられてしまう。彼らも13年前

他人事と思っていた人が多かったに違いない。幾ら頭の中では分かっていても

実際に経験してみないと本当に分からない事は多い。次は南海トラフの地震が

75%の確率でオヤジ達の地域を襲うだろう、と言われても正直ピント来ない

のが実際だ。こんな災害、経験しないに越したことはないが、備えあれば憂い

無しで、発生した災害から学ぶ事を忘れてはいけない気がする。先回の熊本の

地震も、今年の能登半島沖地震も、建屋の補強や非常時の持ち出し品、避難の

方法などで3.11から学んだ人も多かったと聞く。自然に勝つ事は出来なく

ても、これは人間だから出来る最大の抵抗だと思う。そのためには起きた事を

風化させないことが肝要だ。昨年、旅で岩手県の「奇跡の一本松」を訪れたが

周りは何事も無かったかの様な綺麗な公園になっていた。ただ、地震や津波が

襲い倒壊した建物の一部が当時のまま残されていたが、この意味を考えたいと

思う。一日でも早く忘れてしまいたい反面、風化させずに警鐘として人びとに

伝えて行く使命。被災者にとっては苦しい戦いだろう。それを理解し続けたい。

Kskipmt