2024年4月12日 (金)

心配な中国原料

書き始めると次々想い出が出現して来る中国だが、今一番気になるのはやはり

原材料の動向だ。それほどまで責任感が強い訳ではないのだが、自身が見つけ

育て上げ、そして購入して来た原材料が、どんな行く末をたどっているのかが

とても気になる。中国のパートナーとの仲が親密になればなるほど、部下には

脱中国し、幅広い購入ソースを持つように苦渋の提言を続けて来た。かつては

日本がその生産を中止し中国にシフトされた化学品、今度は中国が、や~めた

といつ言い出しても不思議はないからだ。現在でも安定して購入されていれば

良いのだが、それはそれでまた心配になる。そんな事を考えてしまうのである。

出張における個々の想い出については「無線おやじ」のブログで日記の形式で

夜遅くまで書き綴ったのを思い出す。その日の訪問先のレポートが終わっての

書き込みなので、毎晩12時頃になった。とは言っても日本ではもう午前1時

である。やはりあの頃は元気だったのだろう。連日、脂っこい食事をした上で

ナイトキャップと称して酒の代りに「酸奶」と呼ばれる飲むヨーグルトを毎晩

500mlぐらい飲んでいた。後で気が付いたが猛烈な高カロリー、あれでは

病気をするハズである。15年の間、小さなトラブルはあったが、もうダメだ

と思った事が一度だけあった。それは高速道路でのタイヤのバーストであった。

後輪だったのが助かったがこれ一つぐらいなのは幸せな出張と言うべきだろう。

Cntyardk

Frcontna

2024年4月11日 (木)

上の存在を知れ

中国の話しを書いていたら、やはり15年間の出張の想い出が走馬灯のように

頭の中を次々と駆け巡って行く。秋季の出張は、地域によれば40℃を越える

猛烈な暑さが残っていたが、その中に時折見せる秋の気配はよりもの悲しさを

感じたものだった。逆に春季の訪中は、極寒の中にこそ感じられる春の歓びが

あった。広大な大地は、季節によって日本には無いさまざまな「顔」を見せて

くれたが、行っても行ってもなかなか目的地にたどり着かないあのスケールは

我々の感覚を大いに狂わせた。帰国したすぐは「おまんら、なにをこまいこと

言うちょるんじゃ」と言う気持ちにさせた。ちょうどヤクザ映画を観終わって

映画館を出た時の「威勢」と同様の感覚だった。良い面があれば、悪い部分も

あった。改めて日本に生まれて良かったと思うことも多かったが、それもみな

比べるモノがあってのことだ。「井の中の蛙大海を知らず」と言う格言がある。

やはり一つの事しか知らなかったり、周りが見えないのは不幸だ。自国よりも

優れた国を見るのも意義があるが、その逆も真なりで改めて「日本」を見つめ

直し、比較することが出来た15年間だったと思う。そんな良いハズの日本が

お粗末な政策で揺れている。君たちは、まだ上にある国家の存在を知るべきだ。

Shipdn

Daisgn

2024年4月10日 (水)

櫻の花散るころ

桜の花が散り始めると、現役時代オヤジが中国出張から帰国する頃だ。今年は

まだ咲いているだろうか、もう終わっただろうか、とワクワクしながら帰った

のを覚えている。気温の関係で十分綺麗だった年があれば、既に葉桜になって

いた年もあった。訪中する時期としてはほぼ同じなので、やはりそれほど年に

よって開花に差があったのだろう。中国の浙江省から江西省に掛けての内陸部

では、菜の花と杏子の花しか見えないような広大で、綺麗な景色に出会ったが

やはり何と言っても日本人は「櫻」である。最近は、日本との姉妹都市交流の

関係から中国には桜の名所が増えている。無錫にも太湖の畔に綺麗な桜公園が

あったが、やはり日本の桜の方が数倍綺麗だった。近くに居ると感じなくても

離れてみると分かるのが郷愁で、ほんの僅かの出張でも感じるのだから戦争中

また戦後に満州などで苦労した人たちは如何ばかりだっただろうと思う。出張

当初は物珍しかった中国も、回を重ねるたびに日本の良さが色々分かって来る。

そんな時に桜の花は、日本に帰って来る楽しみをより大きなものにしてくれた。

Cnanzu

Cnnanhn

Jpsakura

2023年11月 5日 (日)

いい加減にしろ

また中国の話しだが先月杭州アジア競技大会が閉幕した。予想通り地元中国が

大量の金メダルを獲得し、日本は2位と健闘した。惜しい試合もたくさん有り

日々興奮の連続だったが、オヤジは開催国中国の在り方が実に不愉快で「いい

加減にしろよ」と叫んだことも多かった。確かにある意味「加害者」と「被害

者」では受け取り方が違うのだろうが、一体戦後何年が経っていると思うのだ。

サッカーの北朝鮮選手の振舞などももはや言語道断、出場する資格さえゼロだ。

特に、政治とは違うスポーツの祭典であの態度は何だ。昔から韓国との確執は

あったが、最近は色々な面で「雪解け」が感じ始められて来た。しかるにまだ

両国は根強い日本人嫌いが残っている感じだ。もう戦争を経験した世代自体が

居なくなっている状況でこれほど日本に対する敵意が維持できるのは、まさに

教育以外の何ものでもないだろう。それほどまで日本が憎いのなら、もう観光

などで日本に来るなよ、と言いたい。中国でお世話になったオヤジもついつい

熱くなり叫んでしまう。戦争孤児を養育して立派に育ててくれた側面を持った

中国、これは感謝してもしきれない。ああそれなのにそれなのに、スポーツの

祭典での多くの問題、同じ顔をしているのが特に悲しくさせてしまうのである。

2023年10月 7日 (土)

水の流れの様に

新型コロナ規制の解禁もあり、今年は国慶節の休暇を利用して多くの中国人が

再び日本に押し寄せて来たと報道が伝えた。観光客へのインタビューのなかで

日本で食べたいものを聞くと、みんな異口同音に「寿司」とか「旨い魚」だと

答える。福島第二原発の処理水の問題は心配でないのか、の質問に対し彼らは

日本の管理体制を信頼しているという。もう一部のマスコミ報道とは、完全に

異なる回答だ。実際、彼らが美味しそうに寿司を食べている姿が伝えられたが

日本に観光や仕事で訪れる中国人たちは、もうみんな分かっているのだ。ただ

本国に帰った時のことを考えると、顔出しはNGにして欲しいという。やはり

それなりに影響があるからと言うことなのだろう。これを見てオヤジは、実に

可哀そうだと思った。水が高い処から低い処に流れる様に、自然の摂理による

生き方や主義主張が、自由に選択できない国なんて、何の意味があるのだろう。

日本での「共産党」の姿を見れば判る。もはやある意味「有名無実」となって

しまった政党は、現在与党の暴走をかろうじて喰い止める「声」を発する組織

だけで存在感を示す程度だ。かつて「赤狩り」に遭い捕らえられ、獄中で腫れ

上がった顔で「帝国主義打倒」と壁に書いた気概は今は無い。それは、彼らが

戦後、世の中の流れに順応して生きて来られたからに他ならない。束縛からは

何も生まれない。中国は、鄧小平が「改革開放路線」を打ち出した時、そして

ロシアは冷戦が終わった時、水が流れて行くように動くべきであったと思うが

この二つの国ともう一つの変な国、何とかしないと風評被害では済まなくなる。

Osushijp

2023年10月 6日 (金)

杭州市の想い出

杭州市のシンボルは何と言っても西湖だ。面積6.5平方km、外周15km

最高水深2.8mと比較的浅い湖だ。湖畔およびその周辺には観光スポットが

集中しており、湖の周りに遊歩道が整備されているので、ゆっくり歩きながら

散策出来るほか、サイクリングや遊覧船を利用しても観光出来る。西湖という

名前は、宋時代の詩人蘇軾が中国四大美人の西施にちなんでつけたと言われて

いる。西湖畔には「西湖十景」と呼ばれる、10か所の観光スポットがあるが

その他にも見逃せない観光スポットがたくさんある、風光明媚な湖なのである。

この西湖は、2011年6月に「世界文化遺産」として登録された経緯を持つ。

その湖の畔に「樓外樓(ろうわいろう)」と言うレストランがある。オヤジが

好きなレストランの一つだ。中国には古来より「樓外樓」「天外天(てんわい

てん)」「山外山(さんわいさん)」と言う三大菜館があり「樓外樓」はその

一つの店名を持つ由緒あるレストランだ。杭州に来ると「樓外樓」で食事する

のがステータスとされており、いつ行っても顧客が多く予約が取れないことが

ある。名物は、昔泥棒が盗んだ鶏を土に埋めて隠したところ、その家が火事に

なったが、あとで掘り返して食べて見ると、とても美味しかったと言う逸話を

持つ「叫化童雞」だ。樓外樓は予約をすれば、料理を西湖に浮かべた船の上で

コースで提供してくれる。一度そんな経験がしたかったがそれは叶わなかった。

料理と一緒に飲むお茶は、有名な「龍井茶(ロンジン茶)」だ。このあたりは

緑茶の産地でよく飲んだ。当時は日本茶が恋しかったが今は龍井茶が懐かしい。

Sefu03

Rowairo

Drbodri

Ronjing

2023年10月 5日 (木)

回顧浙江省杭州

中国の記事が続くが、現在「アジア競技大会」が中国杭州市で行なわれている。

杭州市は、上海の南に位置する浙江省の省都で、風光明媚な歴史ある良い街だ。

日本語読みすると「こうしゅう」だが、中国には別に「広州市」があるために

我々は「くいしゅう」と言って区別していた。杭州の市内には「西湖」と言う

綺麗で大きな湖があり、中国内でも有名な観光地の一つになっている。中国の

長い歴史の中でも各時代の表舞台となって来た古都である。そんな杭州がある

浙江省の奥に「常山」と言う田舎街があり、この地がオヤジの中国での最初の

開拓地だった。工場で使用する最も重要な原材料の一つが生産されていたため

当初はこの地を外しての出張は考えられなかった。現在では、高速道路が整備

されているが、初めて訪れた2000年当時は、杭州市から常山までは道路の

舗装は無く、腸が飛び出しそうなガタガタ道を、約4時間ほど掛けて移動した

のを思い出す。上海のホテルからは都合約6時間は掛っただろうか。偉そうに

言う訳ではないが、この手間が安い原材料の購入につながったと言っても過言

ではない。何故なら直接工場に出向いて買い付けると、差ほどでもない原料が

商社任せにしておくと倍ぐらいの値段になってしまうからだ。つまりガタガタ

道を移動する労力が「マージン」になると言う訳だ。そんな苦労を杭州の街は

癒してくれた。それは「西湖」の景観に加え「お茶」と「食事」が大きく関係

したと思っている。そのあたりのお話しは次回、少しだけさせていただきたい。

Chinampal

Akuro

Genryou

Sefu01

2023年10月 4日 (水)

訪中の時期だな

現役当時なら、そろそろ秋の訪中時期がやって来る。現在、中国では国慶節の

大型連休中であるが、毎年この休みが明けたら始まる。中国国内線の航空券や

鉄道、ホテルなどの予約は「無錫」のパートナーがやってくれるが、その前に

しなくてはならないオヤジの仕事がある。それは当時「西村京太郎」と呼んで

いた出張計画作業である。昔の会社で叩き込まれた「高い旅費を使うのだから

それに見合った仕事をして来い」と言われた言葉が頭から離れず、日程の間で

その時期に有益で能率的な移動を組む必要がある。それがまさに西村京太郎の

小説のアリバイ崩しを、逆にしたような難しさがあったことから、そんな風に

呼んでいたが、それはもう大変な作業だった。時間が無駄にならない様、かつ

ギリギリにならない様、ある程度の余裕を持って計画するのは至難の業だった。

最初の頃は何かにつけ便数が少なく、田舎ほど苦労した。ただ良くしたもので

中国の慣習として、交通の便の悪い処は、4~500キロぐらい離れていても

最寄りの交通機関の駅まで、訪問先の会社の運転手が送迎してくれるのである。

これには大いに助かったが、本当にアリバイが崩れた時にはバンザイするほど

ホッとしたのを思い出す。それもこれも、全てに渡って無錫のパートナーとの

仕事だけではなく、ほかのお客さんも有ったからで、能率的なバトンタッチが

必要不可欠だったのだ。まあ、計画もさることながら、15年の長きに渡って

無事中国で仕事が出来たのは、パートナーを始め関係者のお陰と感謝している。

Chugk01

Chugk04

Chugk02

Chugk03

2023年9月 1日 (金)

棚に上げる国家

ことわざで「自分の事は棚に上げて」とはまさに今の中国の事を言うのだろう。

自国の真実は知らされず、他国の悪いことばかりを報道し批判させる。我々は

こんな国々とは違うのだ、と言ったアピールをしたいのだろうがとんでもない

話しである。国民が本当に自国の恥部を知ったら、とても国際電話で嫌がらせ

など出来ないだろう。やはり真実を知り得ないのは、国が広すぎるからであり

沿岸部と内陸部の格差に始まり、国民に知らされていない真実が、あまりにも

多過ぎる。国家が、不都合な点を知らしめないように統制をしているのだから

仕方が無い。ここが、一見して資本主義の国と同じ様な錯覚を起こさせ、その

実情は、極めて怖い国家であると言う所以だろう。ある意味どこかのミサイル

国家と根底は全く同じなのである。異なる点と言えば、前述の資本主義国家と

勘違いするように、海外の出入りがある事だ。オヤジも錯覚を起こしながらも

肝心な部分は気を抜かず長年仕事をさせて貰ったが、本当に緊張の連続だった。

その分、国民の口に戸は建てれても、我々外国人は真実が見られた。赤い川や

夜のような昼はその一部で、もっと恐ろしい現実を知ることが出来た。これら

真実がこの国では、その地域を脱出して国全体の問題にならないのが不思議だ。

そんな意味では問題点を見て来たのは、貴重な経験をしたとも言える。真実を

知る権利は、国民に平等にある。そんな国家になった時、真の「中国」となる。

Redriver

Tikosnjk

2023年8月29日 (火)

どの口が言うか

ついに溜まりに溜まった福島第一原発の冷却水の海洋放出が始まった。これの

是非については立場によって見解は変わるし、実績のないことだけにこの先の

問題については誰も予想は出来ない。ただ一つ言える言えるのは「想定内」と

言った事などあり得ないと言う真実だ。東日本大震災から何年経っただろうか。

この間、出来た事と言えば、ただひたすら大量の水で原子炉を冷却しただけと

言っても過言ではない。そもそも人間が肝心の施設に近付くことさえ出来ない。

それほど原子力とは恐ろしいモノなのだ。学生時代機器分析でX線回折装置の

部屋に入るのも躊躇したような怖さがある。これは単にオヤジがビビリだった

だけかも知れないが、今回の海洋放出で同じような不安を持つ者は多いだろう。

反面、トリチウムを除去した冷却水を大量の海水で希釈して、1キロメートル

先の海に流すのがどれほど微弱なもので、他にもっと危険なケースが野放しに

されている事実が多いのも分かる。出来れば実施しないに越したことは無いの

だろうが、あれだけ大量のタンクに溜まると、もう限界なのだろう。漁協側の

当事者としては不安を隠し切れないのは当然だと思うが、しばらくモニターの

経過観察をして行くしかないだろう。それにしても、中国が日本の魚の禁輸を

公表したと言う。更に国際電話を利用しての「嫌がらせ電話」が頻繁に掛って

来る様になった。一体「どの口が言うとんねん」と反論したい。あれだけ汚い

モノを大量に放出、それを野放しにしている張本人には言われたくない。実際

現地で「赤い川」や「夜の様な昼」を見たオヤジは絶対にあの態度は許さない。

Fdikyhs

Fdignptu

Chncmnt

Miwktel