2024年5月10日 (金)

恐竜バスが登場

福井のニュースがワイドショーに飛び込んで来た。恐竜バスが登場するらしい。

やはり今でも福井の話題になると気に掛り、どうしても目を見張り耳を傾けて

しまう。恐竜バスと言うので、単に恐竜の絵を描いたバスのことかと思ったが

これが全く違う素晴らしいシステムを搭載したバスだった。バスの天井や窓に

スクリーンを配し、走行中にティラノザウルスやフクイラプトルに襲われると

言う恐怖体験が出来るバスなのだ。テレビでの紹介では、残念ながら臨場感を

100%伝えることは難しいとは思うが、実際には相当な迫力だろうなと思う。

実によく考えたものだ。最近の福井県は素晴らしい。駅の周辺が新しくなって

からと言うもの、次々に興味ある施設を増やしている。駅前に動く恐竜を設置

したり、北陸新幹線の開通に伴っても様々な観光による集客活動が、我々にも

伝わって来る。もはや福井と徳島、どちらが田舎かなどと競っている場合では

ない。完全に水を開けられた感じだ。正直、恐竜好きのオヤジとしては福井に

恐竜に関する様々な施設があり、今回このバスが登場すると聞いて実に嬉しい。

運行されたら是非乗車してみたい。福井も徳島も有名な観光地を持ちながらも

その数は少ない。従って観光による集客は、何に力を入れるかは限られて来る。

アホの一つ覚えでも良い。全国の人たちが初めてであり、興味があると思えば

徹底的に宣伝すべきで、一つしかない集客要素で関係者の対立など言語道断だ。

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2024年3月16日 (土)

嬉し寂しの開通

いよいよ今日、待ちに待った北陸新幹線の金沢~敦賀間が開通した。本来なら

敦賀から京都を経由し、大阪まで行って全線開通となるのだろうが、敦賀まで

のびただけでも嬉しい。東京からだと、これまで金沢から在来線の特急に乗り

換え敦賀まで向かっていたがこれで一本になる。時間にして約50分短縮され

料金も安くなる様だ。しかし馴染みのサンダーバードが福井から消え行くのは

実に寂しいものだ。金沢から敦賀方面に向う停車駅は「小松」「加賀温泉」「

芦原温泉」「福井」「越前たけふ」と続き温泉駅が2つも入っている。これで

北陸新幹線の駅で温泉名が入るのは富山県の「黒部宇奈月温泉」駅を加え3駅

になる。全国の新幹線駅で駅名に温泉が入っているのは6駅だそうで、さすが

温泉の北陸、これで温泉名駅の50%を占めることになる訳だ。しかしながら

加賀温泉駅は順当として、あの芦原温泉駅に停車するとは思わなかった。正直

実際の「芦原温泉」からはほど遠く、田舎街の何も無い駅だからだ。あれから

随分月日が流れたので現在の新幹線駅がどうなっているか分からないが、よく

利用した駅だけに気になってしまう。やはり田舎の駅でも、本来の芦原温泉に

一番近いJRの駅だけに、どうしても外せなかったのだろうと思う。もう一つ

市としては消えてしまった「武生」が新幹線の駅「越前たけふ」とひらがなで

残されるのは嬉しい。かつて「武生」-「鯖江」と通過し、福井にやって来た

感を味わった重要な駅の一つだったからだ。月日は様々なモノを変えて行くが

平成~令和に掛けて北陸は大きく変わった。この一部に立会えたのは良かった。

Hkrksks

2024年2月19日 (月)

嬉しいが悲しい

最近記事のタイトルに相矛盾するような語句が多いが今回もまたそんな話題だ。

3月16日、いよいよ敦賀-金沢間の北陸新幹線が開通する。長かった工事も

その一部分しか見ることが出来なかったが、リタイヤして北陸を離れたあとも

開通の日を楽しみにして来た。敦賀から大阪までの区間がまだ残されているが

ようやく福井県を新幹線が走る。待ちに待った開通だ。そんな反面、あれほど

慣れ親しんだ「サンダーバード」と「しらさぎ」がその姿を消すと言うことだ。

敦賀までの運航は残るようだが、そこから先は敦賀で新幹線に乗り換える事に

なる。まさに嬉しい様な悲しい様な、複雑な心境である。実際に大阪、名古屋

両方面から福井までの移動時間は、ともに3分ぐらいしか短縮されないと言う。

それくらいなら名物特急は残して欲しい気がする。名古屋時代は「しらさぎ」

大阪時代は「サンダバード」と共に人生を歩んで来たオヤジだが、もう二度と

あの列車で大阪から福井に行く事はないかも知れない、と思うと実に感慨深い。

列車の中では色々な事を考えた。仕事の事、趣味の事、家族の事、隔週で利用

していたのに約3か月に渡って乗車出来なかった病もあった。そんな想い出に

新しい歴史が加わる。温かくなったら、新幹線に乗って北陸を訪れたいと思う。

Hkrksks

Sudbird

2023年11月28日 (火)

北陸の冬を想う

カニを食べたからと言う訳ではないが、この時期が来るとやっぱり北陸の事が

気に掛るようになる。「寒くなっただろうな」とか「時雨ているだろうか」と

現地に住んでいた頃や、出張で出掛けていた時に体験した北陸の過酷な天候が

頭の中に浮かぶようになる。もう随分昔の話しなので、何かと忘れ掛けている

部分も多いが、北陸の冬は何一つとって見てもいいところは無かった気がする。

まあスキーやスケートは出来たが、これらは日々の生活とは全く別モノであり

この過酷な天候が、特別な海の幸や山の幸を生み出している、などと言う事は

凡人にはなかなか理解出来ないので猶更だ。雪かきをしての出勤、除雪作業や

融雪作業、必要以上の注意を払っての雪道の運転、ブーツや長靴が手放せない

生活、それでいて別に何も猶予される事無く、雪の無い地方の人たちと同様の

生活や仕事をする。正直、こんな不公平なことは無いと思ったものだ。そんな

事を考えていると福井県鯖江市からニュースが飛び込んで来た。市街地に熊が

出没したと言う。とうとうオヤジが知っている身近な処にも出るようになって

来た。本来ならば「冬眠」に入るハズの時季だと思われるが、野生動物たちの

世界も、環境が一変したと言う証しなのだろう。過酷な冬の生活に加えて熊や

イノシシの問題、もうこれ以上冬の北陸に試練を与えないで欲しいモノである。

Winfkui

Winknzw

2023年11月 6日 (月)

実に幸せな話し

今年も11月6日を迎えた。ズワイガニの解禁日だ。三国漁港などでも今晩は

トロ箱を蹴って、初セリが行われるだろう。毎年この時期を迎えると、解禁に

合わせるように北陸の天気は冬のモノに変わる。日本海から次々と暗雲が押し

寄せ、時雨がちになって来る。うまくしたものである。この地に住む人たちは

幾たびこの季節を迎えたことだろうと思うが、昭和から平成に変わる少し前に

初めて福井でこの冬シーズンを迎えたオヤジは、正直「エラい処に来てしまっ

たな」と思った。それを一番顕著に感じたのは日照時間の差だった。やっぱり

太陽の無い生活は「暗い」そして「寂しい」突然バラバラとやって来る霰にも

参った。まだ11月だと言うのに路面が真っ白になるなど、信じられなかった。

今からこうだと真冬はどうなる事かと思った。それが1年経ち2年経ちそして

10年が過ぎた。住めば都とはよく言ったもので、季節季節に有るべきものが

ないと寂しくさえ感じるようになった。何より、一年の内の少しを辛抱したら

こんな良い処は無いと思えるようになったからだ。水良し、米良し、空気良し

尼崎で認定された娘の喘息は、いつの間にか消えた。もの事は比較して初めて

分かる。これからオヤジは今の地に住むことになるが、互いにそれぞれに良い

土地に住めたな、と思えるようになる事だろう。これは実に幸せな話しである。

カニの解禁に合わせ福井での生活を懐かしく思いながら、転居の準備を速めた。

Htuseri

Kiwami

Fyarare

Ykikaki

2023年9月26日 (火)

田舎論争終止符

高知県の梼原町で撮影した画像は、当日の記事に貼り付けましたので、遡って

ご覧頂きたい。先日のニュースで「北陸新幹線」が金沢-敦賀間で試験走行を

開始したと伝えた。来年3月に運行開始とのことだ。とうとう来たか、と言う

感じである。既に金沢ま開通されていた北陸新幹線も、やっぱり福井まで延長

されないと本当の「北陸新幹線」ではない。そんな意味では嬉しいニュースだ。

オヤジが現役時代、出張する都度に変わり行く架線工事に、開通のことを思い

浮かべていたが、ついにその日は目前だ。しかし、ビジネスで利用することが

叶わなかったのは、少々残念な気がする。これまで無かった場所に突如として

表れた巨大建造物に、あれは何かと訊ねたらベンベン「新幹線・新幹線・新幹

線」と教えて貰った日のことを思い出す。あれから随分月日が流れたが、遂に

その日がやって来る。新しい新幹線の駅もまだ見ていないオヤジは、あれだけ

長きに渡ってお世話になった福井の変貌をまだ知らない。オヤジがそうなのだ

から、家内や娘達は猶更だろう。新幹線が開通した暁には、一度家族揃っての

北陸旅行を計画してみたい。いや~、全線単線の四国に新幹線が開通するのは

いつの日か。福井工場で徳島と福井どちらが田舎か論争したのが恥かしくなる。

Hrsks01

Hrsks02

2023年4月 3日 (月)

春日井から福井

特別局運用二日目も朝から参加した。こんな機会でもなければ最近は仲間とも

なかなか会うことが出来ない。昨日のような賑わいは無かったが、それなりに

楽しく過ごした。二日目も電信の設定に再挑戦したところ、無線機から電波は

出たがアンテナからの戻りが大きすぎる。みんなで協力してアンテナを下した

ところコネクターの半田が外れていた。こんな時には大勢の仲間たちがいると

作業が楽に終わる。アンテナを戻して再スタートだ。今度は快調に電波が出た。

結局電信が出来なかった原因は、電鍵の極性がオヤジの機械と逆になっていた

ためと分かったが、この様な機器類は規格を合わせておいて欲しいものである。

昨日は特別局の運用を終え、福井に移動した。久々に米原を経由して北陸道に

入った。その昔、数えきれないほど通った道だが最近は舞鶴若狭自動車道から

北陸に入るケースが増え、名古屋方面から北陸に入る場合以外は、あまり利用

しなくなってしまった。通り慣れた道を走り三国町に入った。本来ならば昔の

会社の工場にも立ち寄りたかったが、残念ながら今回は日曜日だ。幸い福井の

おやっさんと、福井の大先輩にはお会い出来た。お元気なご様子でなによりだ。

コロナが邪魔をして長い間ご無沙汰したが、やはりやって来て本当に良かった。

2023年2月 1日 (水)

そろそろ動くぞ

福井のオヤッサンから久しぶりにコメントを頂戴した。しばらく音沙汰が無く

心配していたが、これで一安心だ。先日ネットの調子が悪く、一度息子さんに

見て貰うと言う事だったが、復旧したのか心配していたところだ。もしかして

身体の調子が悪いのではないだろうか、などとも思ったが良かった。福井県の

工場に勤務している時の上司であり、気安くオヤッサンなどとは呼べないので

あるが、あえてこのブログではそう呼ばせて頂いている。年齢的にはアニキと

言ったほうが正確なのだろうが、オヤジの中ではオヤッサンだ。言いたい事が

言え、何でも相談に乗ってくれる良き上司だったが、もう随分長い間ご無沙汰

しているので一度お会いしたいと願っている。そんな意味から、今年は春から

全国行脚をしようかと考えている。もちろんARDFへの参戦も含め、北陸や

春日井へも行ってみたいと思っている。新型コロナが2類から5類に変更され

マスクの自由化など、国もそろそろ我々を見放そうとしている。もう罹る奴は

罹ってしまえと言うのなら、オヤジも動き出しオヤッサンのリクエストに応え

大いにボヤキまくろうと思っているので、どうかコメント宜しくお願いします。

2023年1月 7日 (土)

晴天に雪おもう

年末から連続して「サニーデー」が続いている。こんな時は思わず日本海側の

天気に想いを馳せるが、大雪の被害が飛び込んで来ないのは幸いだ。学生時代

一緒に下宿していた二人が、福井市と大野市の出身だったことから、機会ある

ごとに雪の話題に脅されていた。泥だらけの雪だるまが、どうにか作れる程の

雪しか経験していなかったオヤジは、何日も溶けることのない積雪に恐怖すら

覚えたものだった。実際にオヤジが福井に住むようになった昭和から平成へと

年号が変る少し前、いきなりシーズンインでドカ雪が来た。これまでスキー場

だけでしか知らなかったような景色が、生活圏内にある。初めて買った雪用の

グッズ類を身に着けて歩いてみると、腰ぐらいまで埋もれてしまう。これには

驚いてしまったが、今思えばこれがかえって良かった気がする。最初から雪が

少なかったら雪をナメてしまっていたかも知れないからだ。早速、福井市内の

運動公園という場所で車の運転練習をした。当時まだ、スパイクタイヤを使用

することが出来たので、アイスバーンでもブレーキは良く効いたが、それでも

ハンドル操作や制動の状態などが練習できた気がする。以後、自分から起こす

雪事故は無かったが、今思えば雪が怖かったからだろうと思う。個人の車には

マーシャルのフォグランプを取り付けた。フォギーとスポット、二つの光源は

道路に積んだ雪と、除雪で壁になった雪との境界線をハッキリ区別してくれた。

そんなことも、昔から雪についての話しを聞いていたからだろう。どんな事も

慣れて来るとロクな事はない。人生、何事も適当に怖がり慎重になるべきかも

知れないという話しだが、この天気22日頃に崩れることの無きよう願いたい。

Seksetu

Carib01

Carib02

Maclfog

2022年8月19日 (金)

忘れられたかな

たまに南側窓越しに外を眺めるが、今年はそこにいつもの夏らしい景色はない。

晴れていても山には雲が掛かり、いつゴロゴロと雷がやって来ても不思議では

ない。やはり大気の状態が不安定なのだろう。何回も言うようだが、あんなに

早く梅雨明けした年はロクなもんじゃない。福井の方も大変な様で。北陸線が

敦賀と南今庄の間で大雨により土砂が流入し、敦賀と武生間で運転を見合わせ

ていると言うニュースが入って来た。福井に出張をしていた頃なら、オヤジも

影響を受けていたかも知れない。人生70余年で、オヤジが経験した雨による

被害は、1961年の第2室戸台風の時、床上まであと1センチのところまで

水が来たのと、1970年頃、春日井アマチュア無線クラブのキャンプのとき

敦賀の海岸でテント15張が、戻り梅雨の鉄砲水で全部流されたことぐらいだ。

テレビで報道されているような罹災経験が無いのは実に幸せな事かも知れない。

本当に被災された方には心からお見舞いを申し上げたい。北陸地方の雪や雨に

よるニュースが報じられた時、やはり心配になるのは北陸の友人・知人と共に

工場の様子だ。人生の中で一番長く勤めた会社だけに、被害は無いだろうかと

心配になる。まだ愛社精神は残っている様だが、会社はオヤジを忘れたかも?。