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2023年7月26日 (水)

あれは何だった

プロ野球も後半戦を迎え、テレビでは甲子園で伝統の一戦「阪神-巨人」戦が

放送されるとのCMが流れている。そうかまた始まるか、とは思うが現在では

野球中継はほとんど見なくなり、どこが勝っても負けても何とも思わない様な

自分になるとは全く想像もしていなかった。昭和33年、長嶋茂雄氏の入団で

ガチガチのファンになったオヤジは「巨人」一筋に人生を歩んで来た。そんな

オヤジのピークは、昭和55年営業職に挫折し、新たな希望を抱いて工場職に

転勤した頃からだった。営業時代の残業はウソのように無くなって、5時には

CMの「セコムしてますか」ではないが「セコムしますよ」と言われて工場を

追い出された。それまで毎日午前様で帰宅していたオヤジは、元社員寮だった

尼崎市の24LDKの建屋を住み込みで管理をしていたが、そんなに早く帰る

気分にはならなかった。そこで阪急「中津」から「梅田」に出て、阪神電車に

乗り換え「尼崎」を通り過ぎて「甲子園」まで向かった。勿論、甲子園球場で

野球が有る時だが、巨人戦は全試合行った。当日売の外野席券を買い、レフト

スタンドの「愛巨会」が陣取るスペースに入れて貰った。ちょうど通路頭上に

あるコカ・コーラの看板の上当たりだった。ここで一喜一憂したのを思い出す。

巨人が勝った翌日は「報知新聞」を買って出社したが新聞はすぐゴミ箱の中に

あった。何故なら大阪工場は工場長をはじめ99%が阪神ファンだったからだ。

巨人が負けた翌日は耐え難い一日が待っていた。仕事ではみんなからは大事に

されたが、野球は別物だった。これがイヤで更に応援に必死になった。それは

もう想像を絶するほどだった。そんな環境が無くなり、今では選手の名前など

知らない人がほとんどである。いったいあの狂気の時代は何だったのだろうか。

ただ「罵られる」のがイヤで、必死になっていただけの愚かなオヤジであった。

Tvsgpntr

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コメント

凄いの一言昔大阪の会社で、タイが-スの追っかけマンがおり全国追っかけたみたい、オヤジさんもそれに近いやんか、その精神りっぱ、親父さんが野球のプロやったから余計やな。

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