怠けもので良い
散歩の途中で学生時代の昔を想い出したオヤジであるが、業務に於ける省力化
合理化で飯を喰って来たオヤジの基本は、あの時代に培われたような気がする。
と言うよりも学生時代からの怠けた考え方が、結果的に良い方向に行っただけ
なのだろう。「何でこんな面倒な事をしなくてはいけないのか」とか「こんな
時間があったら別の事ができるだろう」と言う考えが常に頭にあり、定性分析
の試験用に配られた金属イオンが混合した検体を、いちいち分離するのが嫌で
推測される金属を酸で溶かし、それに直接指示薬を加えて提出した。君の検体
にはそんな金属は入れてないよ、と言われた事があった。二時間以上も必要な
有機合成反応の時間が待っていられず、実験を掛けながらソフトボールに熱中
し、反応の終点を見極める時間に間に合わず、別の化合物を作った事もあった。
とにかく単に「怠け者」だった訳だ。しかし、自身を弁護するつもりはないが
オヤジは、合理化をする人間はある意味「怠け者」でなければいけないと思う。
やっている仕事を「面倒」と思わなかったり、楽な手段を考える方が逆に「苦
痛」と思う様な者には絶対合理化は無理だ。ある意味怠け者でいいじゃないか。
但しやるべき事をやってそれで怠ける、これが無かったらいけないと今反省だ。
コメント