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2023年12月28日 (木)

挨拶は大切なり

昨日が本年最後のボヤキと言いながら、本日もまだボヤく事になってしまった。

しかしこれは昨日の続きであり、あれだけの内容ではまだまだボヤキ切れない。

つまり、これは書き残しのオマケである。中身については皆さんにもご意見を

頂戴したいところだが、多分同じように感じられている方も多いハズだと思う

それは、挨拶が出来ない者が増えた事だ。特に車での挨拶だ。オヤジは自身が

ボヤくような事はしないように心掛けている。多くの者がそうだからと言って

目には目をで、自分も同じ様な事をしていてはいけないと、出来るだけ余裕を

持って「譲る」を心掛けている。一台がようやく通れるような幅の狭い道路や

障害物があったり電柱が進行を邪魔する様な道で対向する場合には、こちらが

適当な場所で待機し、対向車に道を譲る様にしている。しかし運転者の多くが

それが当たり前のように手も上げず頭も下げず、通り過ぎて行く。実に寂しい

世の中になったものだ。お礼を言って欲しいから譲るのではない。譲らないと

危険だと思うから譲るのだ。しかしそれは当たり前ではない。譲られたならば

何らかの形で「礼」を表現すべきではないだろうか。福井三国の嶺北警察前の

道路が、あわら湯のまち方面からの道路と合流する。ここは踏切り手前であり

一時停止する事もあって、ほぼ一台ずつが交互に合流して行く。暗黙のうちに

譲り合いが浸透しているようだった。しかし譲られた方の運転手は皆、一様に

ペコリと頭を下げて去って行く。今もこの風景が見られるか否かは分らないが

当時は朝から気持ちが良いモノだった。こんなチョッとした事が気分を良くし

結果、交通事故が少なくなるなら安いモノだ。やっぱり挨拶とは大切な手段だ。

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コメント

いや-実にその通りです。坂井市三国では実に不思議に踏切での合流時、踏切+信号機のない十字道で互いに譲りあう、これは実に気持ちが良い、非常にむつかしいタイミングでありながら交互に譲りあってるよ、少しの合図ありで実に気分が良い今も変わってない、三国の自慢なり。

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