悲しみのドカン
原材料の話しをしていると、暫く眠っていた「購買の性」が目を覚まして来た。
やはりオヤジはモノを頂戴する仕事が好きだったのだと改めて思う。駆引きは
苦手だったが、真摯にお客さんと向き合って来た事で、たくさんの人間関係が
残った。これも一つの財産である。そんなオヤジだったが、残念でかつ悔しい
想いをした出来事が一つだけある。もう時効なので話しても良いと思うのだが
それは某大手化学会社の工場がドカンと行った時の事だった。かつての会社で
販売製品の原料の原料、そのまた原料ぐらいの背景は知っておくべきであると
教えられたオヤジは、このドカンで社のメイン原料の供給に影響が出ることは
直ぐに判った。当時、別のソースは中国にしか無かったし、その日は日曜日で
会社は休み、しかも隔週の在宅勤務でオヤジは徳島に居た。しかしそんな事は
言っておれず、直ぐ中国のパートナーに国際電話を入れた。まだドカン情報は
中国まで届いていないが足元を見られてはいけない。特需が入ったのを理由に
約半年分の必要数量を確保した。在庫の費用や運賃などはこの際度外視だった。
やれやれと思い、翌日いつも通り大阪に出社した。お昼前に事務所に着いたら
社長から「この非常時に重役出勤ですか」「こんな時は前の日から出社をして
朝一番には机に座っていて下さい」とのお言葉だ。「お言葉を返すようですが
朝一番から座っていて何になるのですか」と言いたかったがそこまではとても
言えなかった。正直、こんな悲しい思いをしたことは無い。日本人とは何にも
出来なくても、しようとする姿勢を見せてナンボのところがまだある。そんな
ゼスチャーだけで出世する人がいると解かっても、出来なかったオヤジである。
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